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【2025/05/02 17:41 】 |
スキップ・ヤング
スキップ・ヤング(Skip Young、本名:Galton W. Young、1951年7月24日 - 2010年12月3日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州ヒューストン出身のアフリカ系アメリカ人。生年は1956年ともされていた[1]。
スウィート・ブラウン・シュガー(Sweet Brown Sugar)のリングネームでも知られる。正面飛び式およびスクリュー式のドロップキックなど、跳躍力を活かした空中殺法を武器に、ジュニアヘビー級の黒人ベビーフェイスとしてアメリカ南部を主戦場に活躍した[2]。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴 [編集]

1970年代中盤にスキップ・ヤングのリングネームでデビュー、フリッツ・フォン・エリックの主宰する地元テキサスのダラス地区(後のWCCW)を皮切りに、中西部のセントラル・ステーツ地区、エディ・グラハムの主宰するフロリダ地区など、NWAの主要テリトリーを転戦してキャリアを積んだ[2]。
1979年、フロリダで覆面レスラーのスウィート・ブラウン・シュガーに変身。ダスティ・ローデスやボボ・ブラジルのパートナーとなり、キング・イヤウケア、キラー・カーン、パク・ソン、ジョー・ルダック、ソー・ザ・ヴァイキング、バグジー・マグロー、レロイ・ブラウンなど、スーパーヘビー級の巨漢ヒールとも激闘を展開した[3]。同年9月29日にはブラジルとのコンビでミスター・サクラダ&ミスター・ヒトからフロリダ・タッグ王座を奪取[4]、シングルでは10月26日にアーニー・ラッドを下して南部ヘビー級王座を獲得している[5]。
1979年はフロリダを主戦場としつつ、素顔のスキッピー・ヤングとしてカリフォルニア州のロサンゼルスにも遠征し、8月10日に藤波辰巳のWWFジュニアヘビー級王座に3本勝負で挑戦[6]。タイトル奪取はならなかったものの、得意の正面飛び式ドロップキックで藤波から1本奪っている。翌1980年1月には新日本プロレスにスキップ・ヤング名義で初来日、藤波への挑戦権を賭けてダイナマイト・キッドとも対戦したが、キッドのダイビング・ヘッドバットに敗れた。
1980年の下期より古巣のダラス地区に戻り、フロリダ時代と同じく黒人マスクマンのスウィート・ブラウン・シュガーとして活動。同年8月1日、故郷ヒューストンにてケリー・フォン・エリックと組み、キラー・ブルックス&スタン・ステイジャックを破ってNWAテキサス・タッグ王座を獲得した[7]。フロリダへの参戦も続け、1981年2月4日にディック・スレーターから南部ヘビー級王座を奪取、同王座への2度目の戴冠を果たした[5]。1982年1月にはダラスとの提携ルートで全日本プロレスに来日している。
以降はスウィート・ブラウン・シュガーのリングネームはそのままに、覆面を脱いで素顔に戻って活動。主戦場のフロリダでは1982年4月にレイ・スティーブンスからTV王座を奪取[8]、同月11日にはブッチ・リードとの黒人コンビでドリー・ファンク・ジュニア&デビッド・フォン・エリックを破り、フロリダ版のNWA北米タッグ王座を獲得した[9]。1983年はテキサスのサンアントニオ地区に登場。アドリアン・アドニス、タリー・ブランチャード、ボビー・ジャガーズ、ルーク・ウィリアムスらヒール勢と対戦した。
1984年はテネシー州メンフィスのCWAに参戦し、ペッツ・ワトレーと組んでココ・ウェア&ノーベル・オースチンのプリティ・ヤング・シングスと黒人タッグ抗争を展開(ココ・ウェアもかつて「スウィート・ブラウン・シュガー」を名乗っていたことがある)[2]。1987年はダラスのWCCWにて、ブッカーのゲーリー・ハートのアイデアでトニー・アトラスともタッグチームを結成した[2]。
その後、ココ・ウェアの仲介でWWFと契約する話もあったが実現せず[2]、1990年代初頭はキラー・ブルックスが旗揚げしたダラスのインディー団体NAWAで活動。ベテランのジョバーとしてWCWのショーにも出場した。プエルトリコのWWCにも遠征し、1996年1月にTV王座を獲得している[10]。
引退後は父の後を継いで説教師に転身した[2]。2010年12月3日、テキサス州ダラスにて死去[2][11]。59歳没。
得意技 [編集]

ドロップキック
ミサイル・ドロップキック
ダイビング・クロス・ボディ
ジャンピング・ヘッドバット
獲得タイトル [編集]

CWF
NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ボボ・ブラジル)
NWAフロリダTV王座:1回
NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):3回
NWA北米タッグ王座(フロリダ版):1回(w / ブッチ・リード)
WCCW
NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / ケリー・フォン・エリック)
WCWAテキサス・タッグ王座:1回(w / トニー・アトラス)
NWAロサンゼルス
NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回
WWC
WWC TV王座:1回
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【2011/01/06 19:51 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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