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柴田 勝頼(しばた かつより、男性、1979年11月17日 - )は、日本の総合格闘家、プロレスラー。三重県桑名市出身。Laughter7所属。
プロレスラー、レフェリーとして活躍した柴田勝久は実父。 目次 [非表示] 1 来歴 1.1 新日本プロレス 1.2 ビッグマウス・ラウド 1.3 総合格闘技 2 ファイトスタイル 2.1 新日本〜BML前田在籍 2.2 BML前田撤退〜 3 戦績 3.1 総合格闘技 3.2 K-1 4 得意技 5 人物 6 脚注 7 関連項目 8 外部リンク 来歴 [編集] 三重県立桑名工業高等学校時代はレスリングにて1997年全国高校生グレコローマン選手権に出場。新日本プロレスの後藤洋央紀は高校の同窓生。 新日本プロレス [編集] 1998年に新日本プロレスに入門。1999年10月10日、井上亘戦でデビュー。ヤングライオン時代はその井上と共にジュニアヘビー級の路線に割って入り、IWGPジュニアタッグ王座に挑戦したことがある。シングルでも当時ケンドー・カシンが保持するIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦するなど健闘を見せた。 2000年4月、第8回ヤングライオン杯の公式戦で対戦した福田雅一が事故死。 2002年4月、メキシコへ短期遠征するも、同年6月に目の治療により戦線を離脱する。11月に復帰し、マスクを被り天山広吉と乱闘を繰り広げる。 2003年より魔界倶楽部入りし、魔界4号として活動、ファイトスタイルは蹴りを主体としたスタイルへと変貌し、以後はヘビー級レスラーとして活動をしていく。 2003年11月3日、新日本プロレスのリングで天田ヒロミとK-1ルールで対戦。ファーストダウンを奪うものの、膝蹴りでKO負け。 2004年5月3日、K-1戦士・武蔵とも異種格闘技ルールで対決。武蔵からテイクダウンを奪うものの「寝技制限20秒」というルールにより極められず、最後は左ハイキックでKO負け。 2004年5月15日、ブラジルで開催されたJungle Fight 2に参戦。初挑戦となった総合格闘技ルールでアイスマンと対戦し、肩固めで一本勝ち。 2004年初め頃から、柴田・中邑真輔・棚橋弘至の3人が「新・闘魂三銃士」と呼ばれるようになる。 ビッグマウス・ラウド [編集] 2005年1月、新日本プロレスと3度の契約更改交渉を行うも決裂、1月31日付で退団した。同年5月14日の新日本プロレス東京ドーム大会に登場するも、翌週、上井文彦の興行会社ビッグマウスと契約を結んだ。 2005年8月4日のビッグマウス主催大会「WRESTLE-1 GP」に出場。プロレスリング・ノアの秋山準と対戦し、13分46秒リストクラッチ式エクスプロイダーで敗北した。 2005年8月10日、ビッグマウスとは7月末に契約を満了し、8月からは関連会社で村上和成が代表を務めるビッグマウス・ラウドに移籍をしたと発表。 2005年11月5日、プロレスリング・ノアの日本武道館大会にて、KENTAとタッグを組み初参戦。 2006年3月22日、前田・船木らの脱退騒動もあった「BIG MOUTH ILLUSION III」での門馬秀貴戦は、門馬のプロレスへの適応が高かったこともあり(プロレス参戦2戦目であった)、柴田のベストバウトと言われるほど評価が高い。 2006年7月2日、「BIG MOUTH ILLUSION VI」での佐々木健介戦でノーザンライトボムに受け身をとった際、健介の左目に膝が当たり左眼窩底骨折させてしまう。 2006年8月20日をもって、ビッグマウス・ラウドを退団、フリーランスの形態(本人曰く「これから全て責任を取る」)で他団体に参戦していく意向を明らかにした。本人は「月に一回しか試合が無いことに不安を感じていた」とコメント。仲の良いKENTAが所属し、かねてより継続参戦を希望していたノアのリングがフリーとしての初戦となることが決定。 同年9月9日には、プロレスリング・ノアの日本武道館大会にて、タッグマッチが組まれた(KENTAと組んで田上明・潮﨑豪組と対戦し、勝利)。 総合格闘技 [編集] Jungle Fight 2でアイスマンと総合格闘技ルールでの試合をし、肩固めでタップさせた。また2007年3月1日、本格的に総合格闘技大会HERO'Sへの参戦を表明。また船木誠勝とともにチームARMSを発足させたことも明らかにした[1]。同3月12日、山本宜久と対戦し、1R開始9秒右フックでKO勝ち。HERO'S初戦を白星で飾った。試合後、谷川貞治HERO'S実行委員は柴田を「ダントツで良かった」「雰囲気がある。トーナメントに出したい」と絶賛した。また試合に向けて20kg以上の減量を行い85kgにまで絞り、脂肪を落とした格闘技戦向けの肉体に変化した。この試合に勝利した柴田は興奮状態のままコーナーポストに登り絶叫し続け、セコンドの船木に宥められる。この映像シーンは柴田の「狂犬レスラー」をイメージを決定づける場面として、その後もTV等で使われた。 2007年7月16日、HERO'Sでハレック・グレイシーと対戦。ハレックが体勢を崩した隙に一気に前に出るがハレックは無理やりテイクダウンを奪う。腕ひしぎ十字固めで一本負け。試合後、谷川貞治は「素質があるので、HERO'Sだけじゃなく、小さな大会でも海外でもいいから、とにかく試合経験を積んで強くなって欲しい」と話した。 2007年9月17日、HERO'Sで桜庭和志と対戦。入場花道を全力疾走し、途中で転倒し前回り受身を取ってリングイン、試合開始前にセコンドとして来場していたヒクソン・グレイシーから受け取った花束を観客席に投げるなど興奮状態で試合開始。桜庭にテイクダウンを奪われると終始パウンドを受け続け、最後は腕ひしぎ十字固めで一本負け。 2007年10月28日、HERO'S KOREA 2007でホ・ミンソクと対戦。1Rの攻防でスタミナが切れ、2Rにパンチの連打を受けKO負け。 2008年5月11日、DREAM.3のミドル級グランプリ1回戦でジェイソン・"メイヘム"・ミラーと対戦し、パウンドによりTKO負け。 2008年7月21日、DREAM.5で自ら志願して秋山成勲と対戦し、袖車絞めで絞め落とされ一本負け。 2008年10月23日、DEEP初参戦となったDEEP 38 IMPACTで滑川康仁と対戦し、引き分けた。 2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜では桜井"マッハ"速人と対戦した。ゴングが鳴った途端、走って突っ込んで、マッハの顔面から流血させるなど抵抗するも一方的なマウントパンチを浴び続けTKO負けを喫した。試合後にマッハは「もっと経験を積めばチャンピオンを狙えると思います」と柴田を評価した[2]。 2009年4月5日、DREAM.8でミノワマンとプロレスラー対決。随所にプロレス技を繰り出す展開で2R終了終盤にジャーマン・スープレックスを繰り出し判定勝ち。2年ぶりの勝利となった。 2009年9月、師匠・船木誠勝のプロレス復帰に伴い、ARMSから桜庭和志のチームLaughter7に移籍。 2009年10月25日、DREAM初のケージ開催となったDREAM.12で試合1週間前にオファーを受けた新日本プロレスの元レスラー石澤常光とプロレスラー対決。パウンドでTKO勝ちを収めた。 2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦での泉浩と対戦。総合デビュー2戦目の泉にスタンドで終始圧倒されて判定負けを喫した。 2010年6月6日、DEEP CAGE IMPACT 2010 in OSAKAでRYOと対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2010年10月24日、DEEP 50 IMPACTで中西良行と対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した[3]。 2010年11月8日、K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINALで石井慧とDREAMルールで対戦し、アームロックで一本負けを喫した[4]。当初石井と対戦予定であったアンズ"ノトリアス"ナンセンが大会直前のドクターストップにより欠場となり大会前日になって参戦が発表されるほどの緊急参戦となった[5]。 ファイトスタイル [編集] 新日本〜BML前田在籍 [編集] 魔界倶楽部の一員として復帰して以降はキックを主体としたシュート系スタイルで、テレビ、雑誌等では喧嘩ストロングスタイルと呼ばれる。負けても、体が動かなくなっても、立ち上がって相手に向かっていこうとする姿勢は、藤田和之等の先輩レスラーも賞賛の言葉を送った。その代表例が天龍源一郎であり、柴田のことを可愛がっていた。柴田が新日を退団した際、天龍は「柴田くらい負けん気のある若い奴はいない」と語っていた。「技が軽い」、「プロレスが出来ない」などの声もあったが、新日時代は中邑や棚橋と活気に溢れたファイトを展開し、上記の天龍、藤田のような格上の選手相手にも印象に残る試合をしていることからも潜在的な高いセンスを彷彿とさせた。柴田は理想の試合として、1995年10月9日に行われた「新日本VSUWFインター全面戦争」の第1試合、永田裕志・石澤常光 vs. 桜庭和志・金原弘光戦を挙げている。柴田は「これこそがプロレスなんだ!って思いましたね。この試合を見てプロレスラーになろうと決めました」と語っている[6]。 BML前田撤退〜 [編集] 柴田の肉体とファイトスタイルはこの頃から変化し、船木の指導により肉体は作り替えられ、二人三脚で「ステロイド剤などを一切使わずに、脂肪ではなく筋肉だけを付けて身体を大きくする」ことを目標に練習を行った。第2回興行の頃からパンクラス時代の船木のように手足が長く見えるようになり(船木曰く「これが理想的な肉体」)、第4回興行以降は今までになかったキレのある動きができるようになった。またクラシカルな動きも随所に取り入れ、そのレスリングの幅も広がっていった。なおこの頃よりアントニオ猪木を意識した動きを各所に見せるようになる。2005年よりほぼ同じファイトスタイルのKENTAとタッグを組むことになり、ノアへの継続参戦が予想されたが、スタイルの方向性の違いからか現在は距離を置いている状態である。 戦績 [編集] 総合格闘技 [編集] 総合格闘技 戦績 15 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合 4 勝 2 1 1 0 1 0 10 敗 4 4 2 0 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 × 石井慧 1R 3:30 アームロック K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINAL 【特別試合 DREAMルール】 2010年11月8日 × 中西良行 1R 4:06 TKO(パウンド) DEEP 50 IMPACT 〜10年目の奇跡〜 2010年10月24日 × RYO 5分3R終了 判定0-3 DEEP CAGE IMPACT 2010 in OSAKA 2010年6月6日 × 泉浩 5分3R終了 判定0-3 Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜 【DREAM vs SRC 対抗戦】 2009年12月31日 ○ 石澤常光 1R 4:52 TKO(パウンド) DREAM.12 2009年10月25日 ○ ミノワマン 2R(10分/5分)終了 判定3-0 DREAM.8 ウェルター級グランプリ2009 開幕戦 2009年4月5日 × 桜井"マッハ"速人 1R 7:01 TKO(レフェリーストップ:マウントパンチ) Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜 2008年12月31日 △ 滑川康仁 5分3R終了 判定0-0 DEEP 38 IMPACT 2008年10月23日 × 秋山成勲 1R 6:34 袖車絞め DREAM.5 ライト級グランプリ2008 決勝戦 2008年7月21日 × ジェイソン・"メイヘム"・ミラー 1R 6:57 TKO(レフェリーストップ:パウンド) DREAM.3 ライト級グランプリ2008 2nd ROUND 【ミドル級GP 1回戦】 2008年5月11日 × ホ・ミンソク 2R 1:31 KO(右フック) HERO'S KOREA 2007 2007年10月28日 × 桜庭和志 1R 6:20 腕ひしぎ十字固め HERO'S 2007 〜ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦〜 2007年9月17日 × ハレック・グレイシー 1R 3:05 腕ひしぎ十字固め HERO'S 2007 〜ミドル級世界王者決定トーナメント開幕戦〜 【スーパーファイト】 2007年7月16日 ○ 山本宜久 1R 0:09 TKO(レフェリーストップ:右フック→パウンド) HERO'S 2007 開幕戦 〜名古屋初上陸〜 2007年3月12日 ○ アイスマン 1R 0:52 肩固め Jungle Fight 2 2004年5月15日 K-1 [編集] キックボクシング 戦績 1試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合 0勝 0 0 0 0 0 1敗 1 0 0 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 × 天田ヒロミ 2R 2:08 KO(3ノックダウン:膝蹴り) 新日本プロレス YOKOHAMA DEAD OUT 〜死線を越えた闘い〜 【K-1ルール】 2003年11月3日 得意技 [編集] 武者返し 主にカウンターで使用。両腕をしっかりクラッチするようにして投げる変形のSTO。魔界4号の時は魔界カッターと呼ばれる。 P.K. スリーパーホールドで相手に尻餅をつかせ、スリーパーを解いてロープへ走り、勢い良く胸板へサッカーボールキックを放つ。技名はサッカーのペナルティキックから。 エフケー (FK) 片膝着き、うつ伏せ等、相手の状態を問わずに決めるロープに走ってのサッカーボールキック。技名はサッカーのフリーキックから。 ジーケー (GK) うつ伏せに倒れている相手の顔面を狙ったサッカーボールキック。技名はサッカーのゴールキックに「顔面」の意味をかけた。 腕極め袈裟固め(鬼殺し) 腕を両足に挟んだ状態で決めるプロレス式の袈裟固め。 ※獣神サンダー・ライガー、矢野通も同名の技(鬼殺し)を使うが、何れも別の技である。 チキンウィングフェイスロック 片腕を羽交い絞めにした状態で極めるフェイスロック。 トライアングル・アームバー(柴田クラッチ) 裏十字の形で、相手の首に三角絞めの要領で足を絡めて腕を伸ばす。横三角絞めとも言われる。船木とのスパーリングでトライアングル・アームロックを受けてこの技を使うようになったという。 高角度ペディグリー ダブルアームの体勢から相手を持ち上げつつジャンプし、顔面をマットに叩きつけていく。トリプルHの持ち技として有名。 八方塞がり(仮)(腕極め式卍固め) 腕ひしぎ十字固め ヘルヘイム アティテュード・アジャストメントと同型。 デス・パニッシュ F5と同型。 人物 [編集] プライベートでは酒好きとして知られ、レスラーの結婚披露宴で度々泥酔している姿が確認されている。酔うとすぐに服を脱ぐとKENTAにコメントされており、酒癖が悪い。 PR |
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