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ジ・アッチィー(本名:アツシまで公表、1973年9月22日 - )は、日本のプロレスラー、
大分AMWプロレスの代表。 身長175cm、体重90kg。血液型O型。 目次 [非表示] 1 人物 2 エピソード 3 入場テーマ曲 4 得意技 5 外部リンク 人物 [編集] 1973年、大分県別府市生まれ。 愛称は「アッチィー」。よく温泉→熱い→アチィー!からきてると思われるらしいが、本名の「アツシ」からきている。 トレードマークは温泉マーク。マスクの両耳には温泉マークをつけており温泉地である別府、湯布院をPRしている。 キャッチコピーは「大分の英雄」。 活動はプロレスラーとしてだけでなく、ラジオDJ、講演会、執筆、映画イベントやライブイベントなど各イベントプロデュースも手掛けており、地元大分のTV、ラジオ、雑誌などでも活躍するタレントとしての活動も行っている。 幼少時代から青春時代にかけてザ・ドリフターズ、プロレス、パンクロックに大きく影響を受けたと言われる。特に志村けんの影響が大きかった事は有名である。 エピソード [編集] 大分県立別府鶴見丘高等学校に在学中(1990年)に プロレス・ 総合格闘技団体を結成。 選手は学校以外にも他校から、また専門誌で呼びかけ九州・山口から学生から社会人が集まるようになり、定期的に大会を行うようになる。 この団体は総合格闘技部門とプロレス部門に分かれていた。 総合格闘技部門はUWFが格闘技路線のプロレスを実践していた前田日明、藤原喜明、山崎一夫らに影響され 高校生ながらプロレス最強論を示そうと独自のルールで多種格闘技の選手と試合を繰り広げていたらしい。 きっかけは好きな子へのアピールだったと地元TV番組で語っていた。 当時バンド活動もしていたため他の分野で好きなプロレスも表現したかったとの事。 高校卒業後、福岡市内の 専門学校に進学するがプロレスへの想いが断ち切れず自主退学。その後はフリーターを続けながら1993年に福岡市で新たに「アマチュアリズム・プロレスAMW」を旗揚げ。 その翌年大分に帰郷する際、もう1つの夢であったザ・ドリフターズの一員になりたくて行動に移すが所属事務所から募集してないと言われ地元の大分県の別府市に戻る。 大分へ移るもAMWとして活動。だが練習場もプロレスに理解してくれる人がいない為に夜の公園などで練習を行う。 学生時代から持ち前のパンク精神で乗り越え、地元新聞やTVなどでも取り上げられ少しずつ露出も多くなり、動員数も増加。 アマチュア時代、みちのくプロレスの九州巡業全会場で試合を行い(アマチュアとして第0試合)、プロの姿勢などを学びグラン浜田から指導されプロレスラーになると決意する。 1999年、ファンに新しい夢を与えたいと試合終了後「プロ団体として活動する」と発表。この模様は九州ネットのテレビ番組で「プロ化への道」と紹介された。 だがこれをきっかけにアマチュアのこだわりをもった選手等が大量離脱する。それでもプロという次のステップに進むため、ファンに夢を与えるため軌道修正はせず残った選手・スタッフらと旗揚げに向かった。 2001年、数々の試練を乗り越えトレーナー・顧問を グラン浜田としプロ化。団体名も「大分AMWプロレス」と変えて新たな出発をする。 「大分AMWプロレス」の略は、Oita Attactive Merry World Pro-Wrestling.「大分の驚異的に愉快な世界のプロレス」 入場テーマ曲 [編集] ジャッキー・チェン 「プロジェクトA」 得意技 [編集] 別府八湯ボム(ライガーボムの名前をオリジナル名にしたもの) 豊後かぼすドライバー(みちのくドライバーの改良型) PR |
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