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村 キンタロー(かねむら キンタロー、本名:金村 珩皓(かねむら ゆきひろ)、1970年8月9日 - )は、三重県津市出身の男性プロレスラー。身長・六尺三寸(約190cm、正式身長は178cm、体重・五十八貫(217.5kg、正式体重は112kg)。在日韓国人であることを公言しており、韓国名は金珩皓(キム・ヘンホ、김행호)。血液型B型。
以前は金村ゆきひろとしてファイトしていた。元妻は元全日本女子プロレスの中見川志保で、W★ING時代に中見川が参戦したことで知り合った。 あだ名は「理不尽小僧」。恩師である冬木弘道のあだ名「理不尽大王」にちなんでいる。また、ファン(特にハッスルに来ている人たち)からは「キンちゃん」、黒田哲広からは「オヤジ」と呼ばれている。 アパッチプロレス軍興行で、味方冬樹(K-DOJO)からリングコールされる際に「伊勢湾の暴れん坊、アイ・アム・プロレスラー」と紹介される(リングアナが味方以外の場合は、この紹介はされない)。 目次 [非表示] 1 経歴 2 タイトル歴 3 入場曲 4 主な得意技 5 エピソード 6 関連項目 経歴 [編集] 1990年12月20日、剛竜馬率いるパイオニア戦志の愛知・半田市民ホール大会にて齋藤彰俊戦でデビュー(当初はパイオニア戦志所属だったが、その後退団。だが、剛竜馬とのトラブルを避けるために、誠心会館所属となる)。パイオニア戦志が崩壊した後、誠心会館の自主興行に参加した後、旗揚げされたW★INGに参戦。エースであった徳田光輝、齋藤彰俊、ミスター・ポーゴ、松永光弘らが次々と離脱する中、命知らずのデスマッチを展開し、エースと目されるようになる。1993年に行われたスクランブル・ファイヤーデスマッチでは、邪道、外道に大火傷を負わされて、長期欠場となった。それだけでなく邪外にはいつも惨い虐めを受けていたようで、憲法がなかったらぶっ殺すとまでインタビューで語るほどその恨みは深い(ただし、大火傷はあくまでアクシデントである)。 1994年のW★ING解散後はビクター・キニョネスが旗揚げしたIWAジャパンに参戦したものの、わずか4か月で離脱。IWAジャパン離脱直後にFMWの札幌中島体育センター大会に乱入、ポーゴ、松永らとW★ING同盟を結成して、大仁田厚ら正規軍と争う。大仁田引退後は、W★ING金村と改名。1997年に大仁田率いる「ZEN」に加盟するも、すぐに離脱し、冬木弘道、ミスター雁之助らとTNR(チーム・ノーリスペクト)を結成した。雁之助、邪道、外道、非道とは「ブリーフブラザーズ」として、ブリーフ姿でリングに上がり、コントも披露。人気を博す。現在入場時にやっている「ブリブラダンス」は、ここから始まった。 FMW解散後は冬木と行動を共にし、WEWに参加しながら、様々なプロレス団体に参戦。ある1年間で一番試合をしたレスラーになるほどである。冬木亡き後、橋本真也と電流爆破マッチを行った。黒田哲広らと共に「アパッチプロレス軍」を名乗り活動する。2005年には長州力と対戦し敗れ、長州の軍門に下った。現在、新日本プロレスにシリーズ参戦し、C.T.Uと過激な抗争を繰り広げ、メジャー系プロレスファンの憎悪を浴びている。 それにあたり、金村は「おれらみたいなチンピラ(リングに)上げている地点で新日本は終わりや。」、一部新聞誌のインタビューコーナーでインディーを批判した坂口征二新日本相談役に「アンタのリングで一番ヒートしているのはC.T.Uとアパッチの戦い。現場を見てから物言え。」などと、新日本への批判を連発した。最終的にC.T.Uの抗争はアパッチプロレスのリングまでもつれ込み、4月14日のアパッチプロレス後楽園ホール大会で金村、黒田、非道vs邪道、外道、獣神サンダー・ライガーのストリートファイト6人タッグマッチで激突し、金村組が勝利することで幕を下ろした。 2002年7月のZERO-ONEの第2回火祭りAブロック公式戦での大谷晋二郎戦で金村が開始ゴング前から場外で先制攻撃を行ない、両者がリングインした時にゴングが鳴り、その瞬間に大谷がバックをとりフルネルソンからドラゴン・スープレックスを放ち、何と3秒で決着がつくといった失態ともいえるプロレス史上に残る最短試合記録をつくってしまい、翌日発行の東京スポーツ誌の一面を飾る(直後のWEW興業の前説で金村はその不名誉な記事が掲載の東スポを持参し、その日の裏表紙が松坂慶子のヌードの記事で同じ日に表紙になり幸せだと冬木に語る)。 ハッスル出場時は、「HUSTLE 03」と書かれた赤い半そでのジャージを着て(ハッスル14から)入場し、ハッスルハードコアブラザーズとして、同じFMW出身で同世代の田中将斗、黒田と共に活躍している(このタッグは、ハッスルと大日本プロレスでしか見ることが出来ない、「激レア」モノと呼ばれている)。金村が出る試合だと必ず金村の入場曲が流れて、その試合のタッグパートナーとブリブラダンスをする(大日本では、田中将斗の登場曲になる場合もある)。ハードコアを得意としているから高田モンスター軍には無類の強さを発揮しているのだが、チーム3Dとは何回か戦っているが、未だに勝ったことがない。金村のハッスルでの楽しみはドクロンZの胸をもみもみしてチューをすることらしい。最近はドクロンZが出てこないのであまりやっていなかったが、ニューリン様がハッスル軍に入った時、ドクロンZのことなどすっかり忘れたように好きになってしまった。ハッスル・ハウスvol.20の時にハッスル19のタッグパートナーとしてニューリン様と組みたいということでTAJIRIと言い争っていた。その時に、金村が「俺のほうが先輩や。先輩の言うことを聞け!」と先輩ヅラまでした。それを見てニューリン様が「TAJIRIとキンタローはキモいから組みたくねーんだよ!」と言われて、失恋した。 2006年9月24日冬木の創設したWEWヘビー級王座を懸けて真壁刀義と「ストリートファイト有刺鉄線バリケードマッドチェーンデスマッチ」で対戦するも敗北。11月18日に真壁に再挑戦するも完敗。 2007年4月のハッスルシリーズに金村似のマスクマンキンターマンが登場、黒田哲広似のクロダーマン、ケビン・ランデルマン似のランデルマンと組んで参戦し、モンスター軍に雇ってもらえるよう頼むも、あっさり拒否された。 2007年6月24日真壁を破りWEWヘビー王座を奪還するも、7月29日に開催された初防衛戦で矢野通に敗北しベルトを失っている。それからは怪我もあり、対新日本から一歩引き、大日本では小幡優作のアシストに回る。 2008年2月18日、同年1月20日に大日本プロレスの女性社員に対し猥褻行為を行ったとして、1月24日をもって同団体への無期限出場禁止処分を受けていたことが発覚。2月20日に黒田を伴い謝罪会見を行う。しかし、髪はボサボサ、ネクタイも締めず胸元がはだけてしまっているという誠意が見られない姿であった。またアパッチプロレス軍も、金村を解雇処分並びに参戦無期限禁止とすることに加え、団体としての活動を無期限自粛することとなった。金村自身もレスラー活動を停止する。 2月22日、アパッチ新木場大会でアパッチプロレス軍を解雇、運営会社「CF企画」の親会社「キャッシュボックス」預かりとなることが発表されている。3月11日、被害者との和解が成立。3月27日、折原昌夫主催のメビウス新宿大会にて復帰。折原自身が金村に説得と参戦オファーを申し出したことによる。 4月、大仁田厚から復帰を否定されたことにより闘論するなか、ロックアップでタッグ対戦が決定する。 6月16日、金村、黒田、田中で、「インディペンデント・ハードコア・ブラザーズ」を結成。このチームを中心としたプロレス集団「XWF」の旗揚げを発表した。 2010年現在は、ZERO1を中心とした活躍が見られる。 10月、アパッチプロレス軍の復帰を発表。 タイトル歴 [編集] WMGタッグ アジアタッグ王座 WEWシングル WEW6人タッグ WEWハードコア WEWハードコアタッグ王座 インディペンデントワールドヘビー 世界ブラスナックルタッグ 世界ストリートファイト6人タッグ W★ING世界タッグ PNWヘビー WWCカリビアンヘビー KO-D無差別級 BJW認定デスマッチヘビー級王座(大日本プロレス) 入場曲 [編集] 「COME OUT AND PLAY」(FMW Edit) オフスプリング 「COME OUT AND PLAY」 大一番試合にのみ使用。 主な得意技 [編集] 巨体が生み出すパワーが武器。試合運びは巧みでそのような型式の試合にも対応できる。特にハードコアマッチの経験は豊富で、場外乱闘や椅子、机を使用した攻撃も得意とする。 爆YAMAスペシャル トップロープダイビングセントーン。金村の重量級のボディが降ってくる姿はフィニッシュ・ホールドの説得力十分である。 ヒューマン・トーチ 相手を担ぎ上げ、尻餅をつくような体勢で相手の後頭部をマットに叩きつける技。開脚式のサンダーファイヤーパワーボム。井上京子のナイアガラ・ドライバーに似ているが、相手を持ち上げた時の体勢が若干違っている。 サムソン・クラッチ 師匠の冬木弘道(サムソン冬木)の技。相手に背後からクラッチされた状態からクラッチを切り、尻餅をつくように後ろへ倒れ込みつつ相手の足首を掴み、前方回転し丸め込む。 椅子チャンバラ それぞれにパイプ椅子を持ちチャンバラの如く打ち合うムーブ。 サンダーファイヤー・パワーボム 大仁田厚の得意技。パワーボムの状態で抱え上げ自分の顔ではなく肩に相手の臀部がくるようにするパワーボム。 牛殺し投げ 投げっ放しジャーマン・スープレックス。 エピソード [編集] この記事に雑多な内容を羅列した節があります。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。このタグは2008年1月に貼り付けられました。 故人である父とは折り合いが悪かったといい、雑誌のインタビュー中に突然「明日親父の葬式なんだけど行くかどうか迷っている」と告白したことがある。 自主興行を打つ際に出場選手のギャラや経費をしっかり払い、自分の分け前がほとんど残らなかったことがある。インディーらしからぬ律儀さともいえるが、やや金勘定が苦手ともいえ、その点を黒田に心配されている。 参戦している大日本プロレスでは、山川竜司の師匠・兄貴分(ただし年齢は同じ)として厳しい言葉を掛け続け、特に山川の欠場が決まった際、コメントを取っているマスコミに対し、「逃げている奴の言葉など載せないで、今頑張っている若い選手のコメントを載せろ!」と言い放つも、2006年9月23日桂スタジオでの再起戦では、自分の負担が増すことを承知の上でパートナーを申し出た。また、山川と同世代のシャドウWXなどとの、一種のコミュニティといったものが出来上がっている。 最近では特に関本大介に目をかけており、金村の親友・田中将斗を目標としている関本のため、一度タッグを組んでみる様に提案したりと、厳しい言葉を投げかけている。金村いわく、「大介だけはアパッチも、たかし軍団も、関係ない。大介個人のために壁になりたい」と語る。ちなみに金村は関本のことを「セクス本大スケベ」と呼んでいる。 PR |
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