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【2025/05/02 06:54 】 |
クイントン・ジャクソン
クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン(Quinton "Rampage" Jackson、男性、1978年6月20日 - )は、アメリカ合衆国の総合格闘家、俳優。テネシー州メンフィス出身。ウルフスレアMMAアカデミー所属。元UFC世界ライトヘビー級王者。「ランペイジ(暴れん坊)」のニックネームを持つ。ランペイジ・ジャクソンと表記されることが多い。
スラムを多用するパワフルかつ荒々しいファイトで注目されたが、堅実なボクシングテクニックやレスリングの攻防にも優れている。かつては粗暴な発言が多かった(後述)。
目次 [非表示]
1 来歴
1.1 PRIDE
1.2 WFA
1.3 UFC
2 戦績
2.1 総合格闘技
2.2 キックボクシング
3 人物
4 獲得タイトル
5 出演
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
来歴 [編集]

17歳でレスリングを始めるが、競技大会に出場することはなかった。その後、大学時代に友人の勧めで総合格闘技に転向した[1]。
1999年11月13日、メンフィスで行われたISCFでプロデビュー。マイク・パイルと対戦し、判定勝ち。
PRIDE [編集]
アメリカのローカル大会で連戦連勝していたところ、桜庭和志の相手に抜擢され、2001年7月29日のPRIDE.15でPRIDEに初参戦。試合には負けたものの、投げ技で桜庭を追い詰め高い評価を獲得し、PRIDEレギュラーの座を手に入れた。PRIDE参戦当時は廃バスに住んでいるという触れ込みで「暴走ホームレス」というギミックが付与された。実際に廃バスに住んでいた事実はなく、トレーニングのため一時期カリフォルニアに移住した際に経済的に苦境に陥り、アパートを引き払ってキャンピングカーに住んでいたにとどまる[1]。
2001年12月23日、PRIDE.18で松井大二郎と対戦するも試合開始早々膝蹴りが松井の金的に入り、反則負け。このことが不満だったらしく後に松井との再戦を度々希望していた。
2002年7月14日、K-1に参戦。K-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKAでシリル・アビディと対戦し、1Rに右フックでKO勝ち。同年12月31日にINOKI BOM-BA-YE 2002でアビディと再戦するも、再び判定勝ち。
2003年3月16日、ヴァンダレイ・シウバの持つミドル級王座挑戦権を賭けたケビン・ランデルマン戦に勝利し、PRIDEミドル級のトップファイターとして認知されるようになった。そして試合終了後シウバへのマイクアピールから大乱闘へと発展、次回大会での王座挑戦は確実になったかのように見えた。
しかし、その後のPRIDE.26ではイリューヒン・ミーシャ、PRIDEミドル級GP1回戦ではヒカルド・アローナ(後にムリーロ・ブスタマンチに変更)、準決勝ではチャック・リデルと続くが、これらの試合にも全て勝利した。長い前哨戦を終えようやくGP決勝にて因縁のシウバと対決。序盤は有利に試合を運んだが、最後はシウバの膝蹴りの連打の前に敗北。準優勝となった。
2004年6月20日、柔術世界一の実力者ヒカルド・アローナと対戦。アローナの執拗な寝技の前に完全に試合の主導権を握られるが、三角絞めを狙ったアローナをパワーボムでマットに叩き付け失神KO勝ち。王者シウバへの挑戦権を再度獲得した。
2004年10月31日、PRIDE.28で約1年ぶりにシウバと再戦。リングイン後、携帯電話で日本人の彼女にプロポーズするという前代未聞の行動を起こした(プロポーズは成功し結婚していたが、のちに離婚)。試合では王者をあと一歩まで追い詰めるも、またもシウバの膝を顔面に喰らってKO負けを喫した。
2005年2月20日、PRIDE.29でシウバの同門ムリーロ・ニンジャを僅差の判定で破った。
そして念願のタイトル獲得に向けて挑んだ4月23日のPRIDE GP 2005では、シウバの弟弟子であり、ニンジャの実弟であるマウリシオ・ショーグンの打撃で肋骨を骨折し、1回戦で敗北してしまう。後日、試合中に「肋骨が折れた」と自陣にアピールしたが、タオルを投入してくれなかったセコンドと衝突、長年所属してきたチームオーヤマを離脱することとなった。この試合後にファニート・イバラを正式にトレーナーに迎え入れた[1]。
復帰戦となった同年10月23日のPRIDE.30では、横井宏考にTKO勝ち。
2006年2月26日、PRIDE.31でユン・ドンシクと対戦し、判定勝ち。この試合でDSEとの契約が終了し、PRIDEを去ることとなった。
WFA [編集]
同年7月22日に行われたWFA(World Fighting Alliance)でマット・リンドランドと対戦。スラムをお互い繰り出すなどして、判定勝ち。
次戦は、総合3戦目(当時2戦2勝)のランペイジを総合初戦ながら破ったマーヴィン・イーストマンとのリベンジマッチがWFAで予定されていたが、WFA自体がUFCを運営するズッファ社に買収されたため、イーストマン戦はそのままUFCへスライドされることとなった。
UFC [編集]
2007年2月3日、UFCデビュー戦となるUFC 67で改めてイーストマンと対戦。2ラウンド、クリンチアッパーの連打でイーストマンをKOし、7年越しのリベンジを成功させた。
2007年5月26日、UFC 71で王者チャック・リデルと対戦。リデルに強烈なパンチを浴びせ、1ラウンドでTKO勝利。第7代UFC世界ライトヘビー級王者となった。同時にノックアウト・オブ・ザ・ナイトも受賞した。
2007年9月8日、UFC 75で初のライトヘビー級王座防衛戦としてPRIDE二冠王者ダン・ヘンダーソンと対戦。全体として試合を優勢に進め、3-0の判定勝利により初防衛に成功した。
2008年1月3日、UFC公式サイトにおいてThe 2007 Fighters of The Year第1位に選ばれた[2]。
2008年4月から放送されたリアリティ番組「The Ultimate Fighter」のシーズン7でチーム・ランペイジのヘッドコーチを務めたが、シーズン中はチーム・ランペイジの選手は準決勝までで全員敗退。相手チームに失格者が出たことによりCBダラウェイが敗者復活を果たすも、CBは決勝でアミール・サダローに敗れた。シーズン後の同年7月5日に行われたUFC 86では同じくコーチを務めたフォレスト・グリフィンとライトヘビー級タイトルマッチで対戦。0-3の判定負けにより防衛に失敗し王座から陥落した。敗れたもののファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2008年7月15日、アメリカ合衆国カリフォルニア州で当て逃げと無謀運転の疑いで逮捕された。ダナ・ホワイトが25,000ドルの保釈金を払い釈放されるも、再び拘束された。
2008年12月27日、UFC 92でPRIDEで2連敗したヴァンダレイ・シウバと3度目の対戦。左フックで失神KO勝ち。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2009年3月7日、UFC 96でキース・ジャーディンと対戦し、3-0の判定勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2009年9月から12月にかけて放送された「The Ultimate Fighter」シーズン10でヘッド・コーチを務めた。同じくヘッド・コーチを務めたラシャド・エヴァンスとはシーズン中から舌戦を繰り広げるなど因縁を深めたが、シーズン終了後映画出演(「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」)を優先しエヴァンスとのコーチ対決を拒否した[3]。2010年5月29日、UFC 114でエヴァンスと対戦し、0-3の判定負けを喫した[4]。
2010年6月にアメリカで公開された「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」でバラカス軍曹(コング)役で出演。同年8月の日本公開に合わせ来日も果たし、今後は俳優と格闘家の活動を平行して行いたいと語っている[5]。
2010年11月20日、UFC 123のメインイベントでリョート・マチダと対戦し、2-1の判定勝ちを収めた[6]。
戦績 [編集]

総合格闘技 [編集]
総合格闘技 戦績
40 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
32 勝 15 7 10 0 0 0
8 敗 3 1 3 1
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
○ リョート・マチダ 5分3R終了 判定2-1 UFC 123: Rampage vs. Machida 2010年11月20日
× ラシャド・エヴァンス 5分3R終了 判定0-3 UFC 114: Rampage vs. Evans 2010年5月29日
○ キース・ジャーディン 5分3R終了 判定3-0 UFC 96: Jackson vs. Jardine 2009年3月7日
○ ヴァンダレイ・シウバ 1R 3:21 TKO(左フック) UFC 92: The Ultimate 2008 2008年12月27日
× フォレスト・グリフィン 5分5R終了 判定0-3 UFC 86: Jackson vs. Griffin
【UFC世界ライトヘビー級タイトルマッチ】 2008年7月5日
○ ダン・ヘンダーソン 5分5R終了 判定3-0 UFC 75: Champion vs. Champion
【UFC世界ライトヘビー級タイトルマッチ】 2007年9月8日
○ チャック・リデル 1R 1:53 TKO(パウンド) UFC 71: Liddell vs. Jackson
【UFC世界ライトヘビー級タイトルマッチ】 2007年5月26日
○ マーヴィン・イーストマン 2R 3:49 KO(右アッパー) UFC 67: All or Nothing 2007年2月3日
○ マット・リンドランド 3R終了 判定2-1 WFA: King of the Streets 2006年7月22日
○ ユン・ドンシク 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE.31 Dreamers 2006年2月26日
○ 横井宏考 1R 4:45 TKO(サッカーボールキック) PRIDE.30 STARTING OVER 2005年10月23日
× マウリシオ・ショーグン 1R 4:47 TKO(スタンドでの膝蹴り) PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】 2005年4月23日
○ ムリーロ・ニンジャ 3R(10分/5分/5分)終了 判定2-1 PRIDE.29 SURVIVAL 2005年2月20日
× ヴァンダレイ・シウバ 2R 3:26 KO(スタンドでの膝蹴り) PRIDE.28
【PRIDEミドル級タイトルマッチ】 2004年10月31日
○ ヒカルド・アローナ 1R 7:32 KO(バスター) PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND
【特別試合】 2004年6月20日
○ 美濃輪育久 2R 1:05 TKO(グラウンドでの膝蹴り) PRIDE 男祭り 2003 2003年12月31日
× ヴァンダレイ・シウバ 1R 6:28 TKO(スタンドでの膝蹴り) PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦
【ミドル級GP 決勝】 2003年11月9日
○ チャック・リデル 2R 3:10 TKO(タオル投入) PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦
【ミドル級GP 準決勝】 2003年11月9日
○ ムリーロ・ブスタマンチ 3R(10分/5分/5分)終了 判定2-1 PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】 2003年8月10日
○ イリューヒン・ミーシャ 1R 6:26 TKO(グラウンドでのパンチ) PRIDE.26 REBORN 2003年6月8日
○ ケビン・ランデルマン 1R 7:00 TKO(グラウンドでのパンチ) PRIDE.25 2003年3月16日
○ イゴール・ボブチャンチン 1R 7:17 TKO(グラウンドでのパンチ) PRIDE.22 2002年9月29日
○ ショーン・グレイ 3R 0:37 TKO King of the Cage 13: Revolution 2002年5月17日
○ 佐竹雅昭 1R 7:07 KO(スラム) PRIDE.20 2002年4月28日
× 松井大二郎 1R 0:14 反則(金的) PRIDE.18 2001年12月23日
○ 石川雄規 1R 1:52 KO(スタンドでのパンチ) PRIDE.17 2001年11月3日
○ アレクサンダー大塚 2R終了時 TKO(ドクターストップ) バトラーツ 〜格闘ロマン2001 バトラーツ対WORLD〜 2001年10月14日
× 桜庭和志 1R 5:41 スリーパーホールド PRIDE.15 2001年7月29日
○ ケネス・ウィリアムズ 1R 4:40 チョークスリーパー Gladiator Challenge 4: Collision at Colusa 2001年6月17日
○ ブライソン・ハウブレック 1R 1:48 チョークスリーパー King of the Cage 8: Bombs Away 2001年4月29日
○ ロッコ・ヘンダーソン 2R 1:15 チキンウィングアームロック Gladiator Challenge 3: Showdown at Soboba 2001年4月7日
○ デイブ・テイラー 1R終了時 TKO(タオル投入) Gladiator Challenge 2: Collision at Colusa 2001年2月18日
○ チャーリー・ウェスト 5分3R終了 判定 Gladiator Challenge 1 2000年12月9日
○ ロブ・スミス 5分3R終了 判定 King of the Cage 6: Road Warriors 2000年11月29日
○ ウォーレン・オーズリー 1R 6:04 腕ひしぎ十字固め Dangerzone: Night of the Beast 2000年10月28日
○ ロン・ランフ 1R 1:18 TKO(マウントパンチ) Continental Freefighting Alliance 2 2000年7月19日
× マーヴィン・イーストマン 5分2R終了 判定0-3 King of the Cage 4: Gladiators 2000年6月24日
○ マルコ・ベルムダス 2R チョークスリーパー Huntington Beach Underground Pancrase 2000年5月13日
○ マイク・パイル 判定 ISCF: Memphis 1999年11月13日
キックボクシング [編集]
キックボクシング 戦績
2試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
2勝 1 1 0 0 0
0敗 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
○ シリル・アビディ 3R終了 判定3-0 INOKI BOM-BA-YE 2002【K-1ルール】 2002年12月31日
○ シリル・アビディ 1R 1:55 KO(右フック) K-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKA 2002年7月14日
人物 [編集]

首からチェーンを下げて入場する。
下品で粗野な行動が多かったが2004年にキリスト教に入信、以前よりは大人しくなった。
ミルコ・クロコップ、マイク・タイソンと友人である。
怪力ぶりで有名だが、本人曰く、幼い頃、父親の工房で荷物運びを手伝っていたため怪力が身に付いたという。また、ウエイトトレーニングはほとんどやっておらず、ウエイトトレーニングの際、扱うウエイトが軽すぎるため、他の者から笑われたというエピソードすら持つ。
獲得タイトル [編集]

PRIDE GP 2003 準優勝
第7代UFC世界ライトヘビー級王座
出演 [編集]

『ミッドナイト・ミートトレイン』(en:The Midnight Meat Train)(2008年) - カメオ出演。
『特攻野郎Aチーム THE MOVIE』(2010年) - バラカス軍曹(コング)役。
脚注 [編集]

^ a b c 真面目なクイントン・ジャクソン「戦いとは、俺の心臓を危険に晒すということ」 GONKAKU 2007年11月号 P30-35
^ Ten Best - The 2007 Fighters of The Year UFC公式サイト 2008年1月3日
^ 【UFC108】対戦カード変更続出、UFC2010スタート!! MMAPLANET 2009年12月29日
^ 【UFC114】因縁に決着、ラシャドがランペイジを下す MMAPLANET 2010年5月30日
^ スポーツナビ“俳優”ランペイジが語る役者としての挑戦
^ 【UFC123】驚きを隠せないジャクソン、リマッチを約束 MMAPLANET 2010年11月21日
PR
【2011/01/07 21:06 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
ヴァレンタイン・オーフレイム
ヴァレンタイン・オーフレイム(Valentijn Overeem、男性、1976年8月17日 - )は、オランダの総合格闘家。ユトレヒト州アメルスフォールト出身。ゴールデン・グローリー所属。
総合格闘家・キックボクサーのアリスター・オーフレイムは実弟。
目次 [非表示]
1 来歴
2 エピソード
3 戦績
4 獲得タイトル
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
来歴 [編集]

15歳からキックボクシングを始め、クリス・ドールマンの下でグラウンド・テクニックを習得した。
日本やオランダのリングスに数多く出場。リングス KING OF KINGS 1999初戦でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、V1アームロックで一本負けを喫した。
翌年のリングス KING OF KINGS 2000では、スレン・バラチンスキー、レナート・ババル、山本宜久、ランディ・クートゥアの全てからKOまたは一本勝ちし、決勝進出を決めた。決勝戦で因縁のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対決するが、1ラウンド1分20秒で肩固めにより敗退。
その後、PRIDE等に出場するも、2年間で11戦2勝と戦績は振るわなかった。
2003年12月12日、クロアチアで開かれた総合格闘技大会トーナメント「DF - Durata World Grand Prix 3」では全試合一本勝ちで優勝を果たした。
2005年3月26日、HERO'Sで大山峻護と対戦、アンクルホールドで一本負けを喫した。
2005年6月12日、オランダで行われたIt's Showtimeでギルバート・アイブルと対戦、腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫した。
2008年8月24日、戦極初参戦となった戦極 〜第四陣〜で高橋和生と対戦し、右跳び膝蹴りでKO勝ちを収めた。
エピソード [編集]

2001年12月23日に行われた「PRIDE.18」でイゴール・ボブチャンチンとレスリングシューズを履いた状態で対戦し、ヒールホールドで一本負けを喫したことについて、試合後インタビューで「次回からはシューズを履かないようにする。絶対もうシューズは履かない」と語っていた[1]が、1年後の「PRIDE.24」に参戦した際にはレスリングシューズを履いていた[2]。さらに、2005年3月の「HERO'S」旗揚げ興行に参戦した際にもレスリングシューズを履いており、それが災いし、大山峻護にアンクルホールドで一本負けを喫している[3]。
戦績 [編集]

総合格闘技 戦績
53 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
28 勝 11 16 1 0 0 0
23 敗 9 15 1 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
○ Catalin Zmarandescu 1R 0:40 KO(膝蹴り) K-1 WORLD GP 2010 Bucharest 2010年5月21日
○ テンギズ・テドラゼ 1R 0:07 KO(ハイキック) Pancrase Fighting Championship 2 2010年4月17日
× ラファル・ダブロウスキ 1R 1:17 ギブアップ(パウンド) Beast of the East 2009年11月14日
× ニコライ・オニキエンコ 1R 0:40 TKO(ドクターストップ:鼻からの出血) GLORY 11: A Decade of Fights 2009年10月17日
○ 高橋和生 1R 2:42 KO(右跳び膝蹴り) 戦極 〜第四陣〜 2008年8月24日
○ ササ・ラジック 1R チキンウィングアームロック Lord of the Ling: Schilt vs. Guelmino 2008年1月12日
× ミルコ・ヴーン 1R 0:45 チョークスリーパー King of the Ring 2006年3月25日
× ギルバート・アイブル 1R 4:30 腕ひしぎ十字固め It's Showtime 2005年6月12日
× 大山峻護 1R 1:28 アンクルホールド HERO'S 2005年3月26日
× クレジミール・ボグダノヴィッチ 1R TKO Ultimate Nokaut 1 2005年3月11日
○ ロス・ポイントン 1R 0:59 TKO Anarchy Fight Night 2005年2月20日
× デイブ・ダルグリーシュ KO 2 Hot 2 Handle 2004年10月10日
○ アウティミオ・アントニア KO CFC 1: Cage Carnage 2004年7月11日
○ アンドレイ・ルダコフ アームロック DF - Durata World Grand Prix 3【決勝】 2003年12月12日
○ ミルコ・ヴーン 1R サイドチョーク DF - Durata World Grand Prix 3【準決勝】 2003年12月12日
○ ローマン・サヴォチカ 1R フロントチョーク DF - Durata World Grand Prix 3【1回戦】 2003年12月12日
× デイブ・ベイダー 1R 3:22 TKO It's Showtime 2003年6月8日
× ミッコ・ルッポネン 15分1R終了 判定 Fight Festival 7 2003年5月19日
× イブラヒム・マゴメドフ 1R 3:20 TKO M-1 MFC - Russia vs. the World 2003年4月6日
× ロン・ウォーターマン 1R 2:18 V1アームロック PRIDE.24 2002年12月23日
× ロドニー・ファベイラス 1R ギブアップ 2 Hot 2 Handle 5: Simply the Best 5 2002年10月13日
× アーロン・ブリンク 1R 2:24 TKO(打撃連打) WFA 2: Level 2 2002年7月5日
○ マーク・エマニュエル 1R TKO(ローキック) 2 Hot 2 Handle 4: Simply the Best 4 2002年3月17日
× イゴール・ボブチャンチン 1R 4:35 ヒールホールド PRIDE.18 2001年12月23日
× アスエリオ・シウバ 1R 2:47 ヒールホールド PRIDE.15 2001年7月29日
× ゲーリー・グッドリッジ 1R 2:39 KO(パウンド) PRIDE.14 2001年5月27日
○ イアン・フリーマン 1R 1:42 TKO(膝蹴り) 2 Hot 2 Handle 2: Simply The Best 2001年3月18日
× アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 1R 1:20 肩固め リングス KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL
【準決勝】 2001年2月24日
○ ランディ・クートゥア 1R 0:56 フロントチョーク リングス KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL
【準決勝】 2001年2月24日
○ 山本宜久 1R 0:45 腕ひしぎ十字固め リングス KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL
【準々決勝】 2001年2月24日
○ ジェレル・ヴェネチアン 1R 1:27 アンクルホールド It's Showtime: Christmas Edition 2000年12月12日
○ レナート・ババル 1R 2:19 アンクルホールド リングス KING OF KINGS 2000 Aブロック
【2回戦】 2000年10月9日
○ スレン・バラチンスキー 1R 2:13 TKO リングス KING OF KINGS 2000 Aブロック
【1回戦】 2000年10月9日
○ ジョー・スリック 1R 0:36 アキレス腱固め リングス MILLENNIUM COMBINE III 2000年8月23日
× トム・サワー 1R 0:35 KO(パンチ連打) Rings USA: Rising Stars Block B【ヘビー級 2回戦】 2000年7月22日
○ トゥリー・クリハーパイ 1R 2:05 腕ひしぎ十字固め Rings USA: Rising Stars Block B【ヘビー級 1回戦】 2000年7月22日
○ ブラッド・コーラー 1R 0:31 膝十字固め リングス MILLENNIUM COMBINE II 2000年6月15日
○ ファティス・コチャミス 2R 0:47 KO(パンチ) Rings Holland: RINGS Fightnight rocks Utrecht! 2000年6月4日
× ラバザノフ・アフメッド 1R 3:50 アキレス腱固め Rings Russia 2000年5月20日
○ デニス・リード 1R 0:28 フロントチョーク 2 Hot 2 Handle 2000年3月5日
× 金原弘光 1R 4:14 KO Rings Holland: There Can Only Be One Champion 2000年2月6日
× アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 1R 1:51 V1アームロック リングス KING OF KINGS 1999 Aブロック
【1回戦】 1999年10月28日
× 山本宜久 3:35 TKO(左鎖骨負傷) リングス BATTLE GENESIS Vol.5 1999年9月15日
○ 金原弘光 4:35 TKO(タオル投入) リングス Rise 3rd 1999年5月22日
× 山本宜久 2:40 腕ひしぎ十字固め リングス Rise 1st 1999年3月22日
× 田村潔司 6:08 腕ひしぎ十字固め リングス 前田日明 引退試合 〜The Final〜 1999年2月21日
× ギルバート・アイブル 0:36 TKO FREE-FIGHT GALA '98: Who's The Boss 1998年6月7日
○ 田村潔司 3:56 アキレス腱固め リングス FIGHTING INTEGRATION 2nd 1998年4月16日
○ 山本健一 6:39 TKO(タオル投入) リングス FIGHTING INTEGRATION 1st 1998年3月28日
○ デクスター・ケイシー 1R 1:50 フロントチョーク Night of the Samurai 1 1998年3月7日
○ クリストファー・ヘイズマン 5分2R終了 判定 FREE-FIGHT GALA '98: The King of Rings 1998年2月8日
× 坂田亘 2:16 アンクルホールド リングス FIGHTING EXTENSION 1997 Vol.7 1997年9月26日
○ Cees Bezems 1R ヒールホールド Rings Holland: Utrecht at War 1997年6月29日
× 長井満也 4:58 ヒールホールド リングス FIGHTING EXTENSION 1997 Vol.3 1997年5月23日
× 成瀬昌由 12:05 TKO(レフェリーストップ) リングス BATTLE GENESIS Vol.1
【トーナメント21 1回戦】 1997年4月4日
○ 成瀬昌由 1R 3:58 TKO(左目尻カット) FREE-FIGHT GALA 1997: The Final Challenge 1997年2月2日
× 坂田亘 6:42 腕ひしぎ十字固め リングス MAELSTROM 5th 1996年7月16日
○ Jeroen Waringa 1R KO Fight Gala: Mix Fight Night 1996年6月15日
○ ツェルク・フェルマネン 1R 3:05 裸絞め FREE-FIGHT GALA 1996: Kings of Martial Arts 1996年2月18日
獲得タイトル [編集]

DF - Durata World Grand Prix 3 優勝(2003年)
リングス KING OF KINGS 2000 準優勝(2001年)
【2011/01/06 22:12 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
├─≠ョ─ヵラスとスコット
├─≠ョ─ヵラス 『マイティ・ソー』
├─≠ョ─ヵラス









├─≠ョ─ヵラス ランバージャック、ヴァイキング、マスクマン、モーターサイクル・ギャングなど様々なギミックを使い分け、ナチュラルな巨体を持つ大型ヒールとして活躍した
【2011/01/06 19:53 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
スキップ・ヤング
スキップ・ヤング(Skip Young、本名:Galton W. Young、1951年7月24日 - 2010年12月3日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州ヒューストン出身のアフリカ系アメリカ人。生年は1956年ともされていた[1]。
スウィート・ブラウン・シュガー(Sweet Brown Sugar)のリングネームでも知られる。正面飛び式およびスクリュー式のドロップキックなど、跳躍力を活かした空中殺法を武器に、ジュニアヘビー級の黒人ベビーフェイスとしてアメリカ南部を主戦場に活躍した[2]。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴 [編集]

1970年代中盤にスキップ・ヤングのリングネームでデビュー、フリッツ・フォン・エリックの主宰する地元テキサスのダラス地区(後のWCCW)を皮切りに、中西部のセントラル・ステーツ地区、エディ・グラハムの主宰するフロリダ地区など、NWAの主要テリトリーを転戦してキャリアを積んだ[2]。
1979年、フロリダで覆面レスラーのスウィート・ブラウン・シュガーに変身。ダスティ・ローデスやボボ・ブラジルのパートナーとなり、キング・イヤウケア、キラー・カーン、パク・ソン、ジョー・ルダック、ソー・ザ・ヴァイキング、バグジー・マグロー、レロイ・ブラウンなど、スーパーヘビー級の巨漢ヒールとも激闘を展開した[3]。同年9月29日にはブラジルとのコンビでミスター・サクラダ&ミスター・ヒトからフロリダ・タッグ王座を奪取[4]、シングルでは10月26日にアーニー・ラッドを下して南部ヘビー級王座を獲得している[5]。
1979年はフロリダを主戦場としつつ、素顔のスキッピー・ヤングとしてカリフォルニア州のロサンゼルスにも遠征し、8月10日に藤波辰巳のWWFジュニアヘビー級王座に3本勝負で挑戦[6]。タイトル奪取はならなかったものの、得意の正面飛び式ドロップキックで藤波から1本奪っている。翌1980年1月には新日本プロレスにスキップ・ヤング名義で初来日、藤波への挑戦権を賭けてダイナマイト・キッドとも対戦したが、キッドのダイビング・ヘッドバットに敗れた。
1980年の下期より古巣のダラス地区に戻り、フロリダ時代と同じく黒人マスクマンのスウィート・ブラウン・シュガーとして活動。同年8月1日、故郷ヒューストンにてケリー・フォン・エリックと組み、キラー・ブルックス&スタン・ステイジャックを破ってNWAテキサス・タッグ王座を獲得した[7]。フロリダへの参戦も続け、1981年2月4日にディック・スレーターから南部ヘビー級王座を奪取、同王座への2度目の戴冠を果たした[5]。1982年1月にはダラスとの提携ルートで全日本プロレスに来日している。
以降はスウィート・ブラウン・シュガーのリングネームはそのままに、覆面を脱いで素顔に戻って活動。主戦場のフロリダでは1982年4月にレイ・スティーブンスからTV王座を奪取[8]、同月11日にはブッチ・リードとの黒人コンビでドリー・ファンク・ジュニア&デビッド・フォン・エリックを破り、フロリダ版のNWA北米タッグ王座を獲得した[9]。1983年はテキサスのサンアントニオ地区に登場。アドリアン・アドニス、タリー・ブランチャード、ボビー・ジャガーズ、ルーク・ウィリアムスらヒール勢と対戦した。
1984年はテネシー州メンフィスのCWAに参戦し、ペッツ・ワトレーと組んでココ・ウェア&ノーベル・オースチンのプリティ・ヤング・シングスと黒人タッグ抗争を展開(ココ・ウェアもかつて「スウィート・ブラウン・シュガー」を名乗っていたことがある)[2]。1987年はダラスのWCCWにて、ブッカーのゲーリー・ハートのアイデアでトニー・アトラスともタッグチームを結成した[2]。
その後、ココ・ウェアの仲介でWWFと契約する話もあったが実現せず[2]、1990年代初頭はキラー・ブルックスが旗揚げしたダラスのインディー団体NAWAで活動。ベテランのジョバーとしてWCWのショーにも出場した。プエルトリコのWWCにも遠征し、1996年1月にTV王座を獲得している[10]。
引退後は父の後を継いで説教師に転身した[2]。2010年12月3日、テキサス州ダラスにて死去[2][11]。59歳没。
得意技 [編集]

ドロップキック
ミサイル・ドロップキック
ダイビング・クロス・ボディ
ジャンピング・ヘッドバット
獲得タイトル [編集]

CWF
NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ボボ・ブラジル)
NWAフロリダTV王座:1回
NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):3回
NWA北米タッグ王座(フロリダ版):1回(w / ブッチ・リード)
WCCW
NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / ケリー・フォン・エリック)
WCWAテキサス・タッグ王座:1回(w / トニー・アトラス)
NWAロサンゼルス
NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回
WWC
WWC TV王座:1回
【2011/01/06 19:51 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
スカンドル・アクバ
スカンドル・アクバ("General" Skandor Akbar、本名:James Saied Whebbe、1934年9月29日 - 2010年8月19日)は、アメリカ合衆国の元プロレスラー、マネージャー。テキサス州ヴァーノン出身のアラブ系アメリカ人。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 担当選手
5 脚注
6 外部リンク
来歴 [編集]

1963年にJimmy Wehba名義でデビュー後、1966年よりフリッツ・フォン・エリックの提案で、アラビア語で「アレキサンダー大王」を意味するスカンドル・アクバに改名。以降、シーク・スタイルのアラブ人ヒールとして、オクラホマのトライステート地区やジョージアのGCWなど、NWAの南部テリトリーで活動した。日本には1970年1月に日本プロレス、1973年6月に国際プロレスへ来日しており、1975年にはオーストラリアにも遠征している。
1977年に現役を退き、ヒールのマネージャーに転向。以降1980年代全般はダラスのWCCWを本拠地に、フロリダのCWFやビル・ワット主宰のMSWA(UWF)にも登場した。1990年代からはWCCWの後継団体であるGWFで活動。1995年には一時的にベビーフェイスとなり、旧敵ケビン・フォン・エリックのマネージメントを担当した。
20年強に及ぶマネージャー時代の担当選手には、若手時代のスティーブ・オースチン、マーク・キャラウェイ、ミック・フォーリー、ジョン・レイフィールド、武藤敬司など、後にプロレス界を代表するトップスターとなったレスラーも少なくない。
近年はテキサス州ダラス郡のガーランドに住み、トレーナーとして後進の指導にあたる一方、テキサスのインディー団体へのスポット出場を続けていた。2010年8月19日、前立腺癌のため死去[1]。75歳没。
得意技 [編集]

キャメルクラッチ
獲得タイトル [編集]

NWA北米ヘビー級王座(トライステート版):1回
NWA USタッグ王座(トライステート版):1回(w / ダニー・ホッジ)
NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / オックス・ベーカー)
NWAメイコン・タッグ王座:2回(w / バディ・コルト、ロケット・モンロー)
NWAオーストラアジアンヘビー級王座:1回
NWAオーストラアジアン・タッグ王座:1回(w / George Gouliovas)
担当選手 [編集]

アブドーラ・ザ・ブッチャー
ディック・マードック
マーク・ルーイン
キラー・ブルックス
レロイ・ブラウン
ザ・グレート・カブキ
キングコング・バンディ
スコット・アーウィン
ビル・アーウィン
フィッシュマン
カマラ
ミッシング・リンク
キラー・カーン
ケンドー・ナガサキ
カリーム・モハメッド
ワンマン・ギャング
ブッチ・リード
ボリス・ズーコフ
テッド・デビアス
スティーブ・ウィリアムス
ビッグ・ブバ・ロジャース
ノード・ザ・バーバリアン
ハーキュリーズ
ダニー・スパイビー
スーパー・ブラック・ニンジャ
ジミー・ジャック・ファンク
スティーブ・オースチン
ザ・パニッシャー
キャクタス・ジャック
ボツワナ・ビースト
モアディブ
ジョニー・ホーク
ケビン・フォン・エリック
グレッグ・バレンタイン
ホンキー・トンク・マン
 etc.
【2011/01/06 19:50 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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